【滝山城跡】北条氏照が築いた難攻不落の名城!

こんにちは。ケンスケです。

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東京都八王子市にある【滝山城跡】

行ってきましたよ!

日本城郭協会の「続日本100名城」にも選定されている戦国時代の平山城です。

以前は、1521年大石定重の築城とされていましたが、近年では1567年までに北条氏照(後北条氏三代目の北条氏康の三男)による築城と考えられています。

派手な天守や石垣などはありませんが、現在も残る遺構は、

「鉄壁の北条氏」

を思わせる、防御力の高い城だったことがうかがえます。

現在では、【都立滝山公園】となって、春は桜、秋は紅葉の穴場スポットになっています。

【滝山城跡】北条氏照が改修した難攻不落の名城!

こんな方におすすめです。
お城めぐりが好きな方。
関東で埋もれがちな名城を探している方。
戦国大名・北条氏ファンの方。
名将・北条氏照に興味のある方。
ハイキングしながら知的好奇心を満たしたい方。
戦国時代の関東地方を勉強したい方。

お城は、敵からの攻撃から防御する場所。
すごく険しいわけではありませんが、地形を利用して攻めにくいように工夫されているので、動きやすい格好でいきましょう!

靴はスニーカーなど歩きやすいもの
できれば、軽いトレッキングシューズがあると嬉しいですね。

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アクセスや駐車場については、こちらの記事をご覧ください。

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都立滝山公園の神社

ちょっと長くなってしまったので【目次】から好きなところを読んでくださいね。

【滝山城】の地形と歴史

まずは【滝山城跡】の立地と歴史をみていきましょう。
立地条件や歴史的背景をみていくだけでも城めぐりは一段と楽しくなります。

地形

【滝山城跡】は「八王子市」にあります。
秋川と多摩川が合流する地点の南側。
秋川を渡れば「あきる野市」。
多摩川を渡れば「昭島市」。

加住丘陵という川沿いにある小高い山の中にあります。
多摩川に山を削られたような地形になっていますね。

城内の「中の丸」や「本丸」からは、北側が見通せます。
川を挟んだ拝島方面や昭島方面への見通しもいいので、敵の襲来をいち早く察知することに役立てていました。

 

北側は急な斜面。目の前には多摩川。
水源地からも遠くはないので、流れもそこそこあります。

そう、天然の「堀」&「石垣」のようなものです。

南側は?というと、

こちらも小高い丘(標高160m)の上なので斜面になっています。
北側よりもなだらかなので、こちらには

「空堀」(からぼり)
「曲輪」(くるわ)
「迷路のような進入路」

によって、攻める敵から本丸を防御するつくりになっています。

自然の地形をうまく利用しているのと、土塁と空堀によって防御を高めているので、城郭の外側からみても「ただの山」。

当時、中がこのような雑木林になっていたかは分かりませんが、大手口から「本丸」まで軽装で歩いても20分近くかかります。

甲冑を着て、重装備で攻め上るのもひと苦労でしょう。
さらに城内は迷路のようになっていて、所々の曲輪からは防御側から必死の抵抗を受けるわけです。

地形をみるだけでも「城」っておもしろいんですね。

歴史

以前は、1521年に山内上杉氏の家臣・大石定重が築城したと考えられていました。
現在では、1563年から1567年までの間に北条氏照による築城改修だとされています。

※追記:築城の経緯については最近では諸説あるようですね。詳しく分かり次第また追記したいと思います。

1569年武田信玄は小田原城を攻撃するときに、滝山城に攻め入ります。武田軍2万ともいわれています。

守る北条方は守兵2千。
広い城郭を寡兵で守るのは至難。

「三の丸」まで陥落した。

とされています。

ただし、「三の丸」は大手口から攻め入ればすぐ。
そこから、「中の丸」「本丸」まではかなりの距離があります。
「本丸」を落とすまでには、まだまだ難所を攻め落としていかなければなりません。

だから、

そんなに奥まで攻め込まれてはいない?!

じゃないかと思うのです!

実際は、滝山城の強固な守備に手間をかけるより、小田原城攻めを優先させたのではないのでしょうか。

ちなみに、このときの信玄による小田原城への侵攻も失敗していて、「三増峠の戦い」で再度、氏照軍と信玄軍は刃を交えています。
結果は信玄軍勝利!

このとき北条氏照は武田信玄の子「武田勝頼」と槍を交えたともいわれています。

その後。
立地的な観点から【滝山城】だけでは、領地を守るのが難しいとの判断で【八王子城】が築城されて、北条氏照もそちらに移っています。

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北条氏照が【八王子城】に移った後も「政庁」として利用された形跡が残っています。

【北条氏照】とは?

【滝山城】は北条氏照が築城したといわれています。
北条氏照は、八王子の英雄です。

どんな生涯だったのか、ちょっと知っておくだけで楽しく【滝山城】を見て回れますよ!

写真(八王子城ガイダンス施設にある北条氏照の甲冑レプリカ)

氏照の甲冑

戦国時代に関東地方で巨大な領地を抱えていた後北条家(鎌倉時代の北条氏と区別するのに「後」をつける)三代目・北条氏康の三男として生まれました。

三男ですが、長男が早逝したため実質は次男。
母親は駿河の国・今川家の出身。「桶狭間の戦い」で敗れた今川義元とは兄妹。

氏照は兄・氏政が後北条家を継ぐと、これをよく支えて北条家の発展に貢献しています。

父・氏康の時代に武蔵国守護代の上杉憲政の家臣であった大石定久を支配下に治めた折に大石家の養子に入り、

「大石源三」と名乗ります。

大石家は北条家に臣従するとともに、氏照に名実ともに大石家を譲ったと考えられています。
(氏照の家臣団はほとんどが以前から大石家に仕えていた。)

武蔵国を併合するとき一次的に「由井(油井)源三」とも名乗っていました。

この時代の氏照は、上杉謙信とも敵対していました。

が、

1568年武田信玄が「甲相同盟」(甲斐の武田家と相模の北条家の同盟)を破棄すると上杉謙信と同盟します。

※このとき氏照の弟・三郎が上杉謙信の養子に。のち謙信の姪と結婚。「景虎」(かげとら)と名乗ります。
上杉景虎は、謙信の死後、上杉景勝とその跡目を巡って争います。

1569年には武田信玄は小田原城へ進軍。
このとき氏照のいる【滝山城】へも軍勢2万を率いて攻め寄せます。

北条氏照は2千の寡兵で武田軍の攻撃を凌ぎました。

武田軍は滝山城攻撃を放棄して小田原城を包囲しますが撤退。

氏照は、撤退する武田軍と再び戦いますが敗北。(三増峠の戦い)

1571年に再び「甲相同盟」を結ぶと、また上杉謙信と対立。

(なんともこの時代の関東・甲信越・東海地方の情勢はややこしいですね!)

1578年に謙信が倒れると今度は、上杉家の跡目争いが原因で、またまた武田家と関係悪化。

北条家は景虎推し。(景虎は氏照の兄弟)
武田家は景勝(かげかつ)推し。

結果、景虎は敗北!上杉景勝が上杉家を後継します。

上杉家の跡目争いのせいで、またまた武田と敵対することに!

武田家の進行を恐れた氏照は【八王子城】を築城します。

1580年兄・氏政が隠居。四代目・氏直が当主に。
1582年「本能寺の変」、徳川家康と対立。
1587年「関東惣無事令」(秀吉による関東での合戦を禁じる命令)

そんなこんながあって、豊臣秀吉が1590年小田原征伐に20万人もの軍勢を出します。
前当主・氏政と弟・氏照は徹底抗戦を主張。
このとき氏照は外交手腕を発揮して、上杉家や伊達家と関係を築こうとしました。

豊臣軍に小田原城が包囲されると、氏照は小田原城で軍勢の指揮を執ります。

その間に、わずかしか兵が残っていない【八王子城】は1日で落城

結局、小田原城も降伏することになります。
このときに、兄・氏政とともに氏照は切腹

北条氏照は、生涯で36勝ともいわれる戦績を誇った優れた指揮官だったともいわれ、合戦では勇猛に戦った武将でもありました。

北条家の外交面でも優れた手腕を発揮しました。
周囲を強国ぞろいの武田家・上杉家・今川家・徳川家とも互角以上に渡り合う北条家を支えました。

外国の陶磁器を集めたり、笛の名手だったりと氏照の素顔も魅力的ですね。

八王子城跡からは氏照が集めていたと思われる陶磁器の破片が見つかっています!↓

氏照が集めていた陶磁器

現在も残る遺構を紹介。

鉄壁の防御を誇った数々の城内のつくりをご紹介します。
滝山城の本丸を守るつもりで見ていくと意外とおもしろいですよ。

大手口

大手口
バス停や滝山観光駐車場から来るとこちらから入りましょう。
ココから攻め入ると両脇の「三の丸」「小宮曲輪」からの攻撃に遭います!

天野坂

三の丸

三の丸

写真の斜面の上が「三の丸」
周囲は深い「空堀」で区切られています。

小宮曲輪

小宮曲輪家臣の屋敷があった区画です。

 

千畳敷

千畳敷看板

千畳敷の広場
平時は役場的な施設があった場所。
籠城時には馬や兵の待機場所になります。

角馬出

馬出看板
虎口(出入口)を少数の兵で守りやすくしている。さらに出撃をしやすくする効果もあります。

行き止まりの曲輪(ふくろのねずみ)

滝山城の案内板
城内は迷路のようになっていて、攻城側は行き止まり。
籠城側からは四方から攻撃できる「罠」のようなつくり。

二の丸

二の丸下の空堀
多くの兵が詰めていた場所。写真の左上が二の丸。正面部分が空堀になっています。
二の丸は三方向からの攻撃にさらされる地点。各方面に馬出を備えています。

信濃屋敷跡

家臣屋敷跡
家臣団の屋敷があったと思われる区画。
東からの侵入を防ぐ目的もあったと考えられています。

中の丸

本丸の一歩手前の重要な曲輪。現在は国民宿舎だった「滝山荘」が建っています。

「続100名城スタンプ」があります。
展望台からは多摩川とその先の拝島方面が一望でき、敵の侵入もいち早く察知できたことでしょう。

中の丸からの展望

本丸

本丸の石碑
「本丸」は二段構え。
「霞神社」「金毘羅社」ふたつの社があります。

都立滝山公園の神社

金毘羅社
本丸からも多摩川方面が一望できるように作られています。

本丸からの展望

引橋(曳橋)

曳き橋
「中の丸」と「本丸」をつなぐ橋。
平時は橋が架けられ、交通できる状態。

緊急時には、橋を通行できない状態にする仕掛けがあったと考えられています。

最後に。

三の丸の下側

【滝山城跡】では、城めぐりと同時に

自然散策
軽いハイキング
植物観賞(お花見も!)
昆虫観察

いろいろ楽しめます。

こちらの記事でも詳しく紹介しています。

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都立滝山公園の神社

中心を周るだけなら1時間から2時間。
縄張り全部を周るなら2時間から3時間ぐらいはかかります。

見ごたえも充分。

豪華な天守がなくても、立派な石垣がなくても、鉄壁の防御機構が作れるんですね。

まだまだ行ったことのないお城がたくさんあります。
また、レポートしますね。

八王子近くの城跡はこちらの記事をご覧ください。

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平山城址公園

最後まで読んでいただきありがとうございました。

迷路のような道
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