【大洗町 幕末と明治の博物館】幕末の水戸と倒幕、さらに明治へ!

こんにちは。ケンスケです。

すんごいところを見つけました!

以前、アクアワールド大洗(大洗水族館)に行ったとき、カーナビの片隅に気になる文字が!

「幕末と明治の博物館」

ん???

気になるぞ~。幕末ワールドにハマっていた私は、行きたいなぁと思いつつも通り過ぎただけでした。

時は流れすぎ、あれから何年か後、またアクアワールド大洗に行く機会がやってきました。

「今度こそは!」と心に決めて、

とうとう行ってきましたよ!

そう、江戸時代この場所は水戸藩。
水戸藩といえば、幕末に大物がたくさん現れた場所です。

本当は、水族館に行く「ついで」のつもりだったのですが!
入ってみての感想は想像以上の
「驚き」
でした。

水戸藩ゆかりのものだけではなく、幕末に活躍した志士たちの遺産がたくさんあるんです。

幕末・尊王攘夷・水戸藩・天狗党・徳川斉昭・徳川慶喜・藤田東湖・武田耕雲斎・桜田門外の変・倒幕派・田中光顕・土佐勤王党・明治天皇・皇室・教育勅語 

これらのキーワードのうち2つ以上、
「お?」
と思った方におすすめです。

【大洗町 幕末と明治の博物館】幕末の水戸と倒幕、さらに明治へ!

展示品のレア度にビックリ!

この博物館を作った人物は田中光顕という人物です。
もともと田中光顕は土佐藩出身の明治政府で出世した人物で、いろんな要職を歴任しました。

実はこの田中光顕、あの坂本龍馬も所属していた土佐勤王党にいたのです。幕末ではいわゆる倒幕派に属していたんですね。
中岡慎太郎がつくった陸援隊にも所属しています。

なので、

倒幕運動をともに推進した人物や明治政府で活躍した人物のゆかりの品々が展示されているんです!

さらに、

明治政府では宮内大臣も務めた経緯から明治天皇を慕っていました。
そのため、

明治天皇が所有していたものも展示されているんです!

幕末から明治にかけての歴史に興味がある方には絶対におすすめできる施設です。

田中光顕(顕介)が何度も登場する歴史小説【幕末】を紹介した記事⇒司馬遼太郎「幕末」江戸末期に起きた12の暗殺事件を描いた短編集!

水戸学は歴史にとてつもない影響を与えた!

「水戸黄門」をご存じですよね。
この「水戸黄門」は水戸藩の第二代藩主、徳川光圀です。
徳川光圀は「大日本史」という歴史書を多くの学者に作らせ始めました。
この歴史書は水戸藩で256年も編纂が続けられ、明治時代になってようやく完成されたのです。

で、
水戸学は、この「大日本史」を編集していた学者たち(儒学・国学・史学・神道など多くの学問)によって、興ったものです。
初めのうちは多くの学問が詰まった包括的な考え方のようなものだったのでしょうか。

その後、18世紀後半から幕末にかけての水戸学は、

「天皇を尊び、幕府の権力をもとに日本を盛り立てよう」

というような主張になっていきました。

当時、外国船が開国を要求していた時期は孝明天皇の時代です。


孝明天皇は鎖国を維持したいとの意向をもっていたので、これが展開された結果が

「尊王攘夷論」

になるわけですね。
この水戸学をもとにした「尊王攘夷論」が幕末志士たちの

「大義名分」

になったのです。

水戸藩の第九代藩主徳川斉昭がつくった「弘道館」という藩校がこの教えを広めました。
このあたりの重要人物は、藤田幽谷・会沢正志斎・藤田東湖・戸田忠敞(とだただあきら)です。

この頃、世継ぎに恵まれなかった江戸幕府13代将軍、徳川家定の後継問題がありました。候補に挙がっていたのが、水戸藩主徳川斉昭の子、一橋慶喜と、将軍家定のいとこ徳川家茂。

結局、14代将軍は家茂に決定します。水戸藩は徳川御三家の面目をつぶされた形になります。
この時の大老(幕府の政治を牛耳る身分)は彦根藩の井伊直弼。

井伊直弼は、日米修好通商条約を結び開国します。
もともと将軍後継問題でしこりの残っていた水戸藩はこれを抗議します。

でも、井伊大老はここで強権発動。

「安政の大獄」

です。

「安政の大獄」で水戸藩の前藩主・徳川斉昭と現藩主・徳川慶篤、一橋慶喜は謹慎や隠居の処分を受けることに・・・。

〇将軍後継問題
〇天皇の許可を得ず「日米修好通商条約」
〇安政の大獄

これらの要因が背景となって起こるのが!

「桜田門外の変」

大老・井伊直弼が暗殺されます。
水戸藩を脱藩した17人と元薩摩藩士1人の犯行です。
※脱藩したのは藩に迷惑をかけないようにするためです。

「桜田門外の変」を機に時代は幕末の動乱に突入していくわけです。
たった18人の志士が、当時最大権力者だった井伊大老の首をとったことで、

「幕府、大丈夫か?」
「水戸藩すげー!」

という風潮が生まれたと同時に

「俺たちにも時代を変えられるぞ!」

若者たちの心を動かしたのかもしれませんね。

「水戸学」が明治維新の原動力になっていたのです!

【幕末と明治の博物館】では、水戸藩の重要人物がどんな役割をして、どんな影響を与えたかを詳しく解説していますので、水戸学だけでなく時代背景まで学ぶことができますよ!

維新の志士たちが遺したものが多数展示!

 

【幕末と明治の博物館】を創立したのは田中光顕。
この人物は土佐藩の生まれで、武市半平太の土佐勤王党に所属します。その後、土佐勤王党が弾圧されると脱藩して長州藩と行動を共にします。

高杉晋作とも親交がありました。中岡慎太郎の陸援隊にも所属して、薩長同盟の成立にも尽力して、倒幕運動を行った人物です。

明治政府ではいろいろな要職を歴任して、明治天皇の宮内大臣を務めたこともありました。

土佐勤王党だけあって、勤王の志が篤かったわけですが、その源になったのが「水戸学」でした。

そんな経緯で大洗町に常陽明治記念館(今の幕末と明治の博物館)を創立して、明治天皇の像を奉納しました。

博物館の入口には田中光顕の像が立っていました。

田中光顕は、明治維新の中で数々の同志を失いました。その多くが脱藩者です。
江戸時代、脱藩は罪でした。倒幕運動で倒れていった同志たちは犯罪者として亡くなっていったわけですね。

維新後、このことに心を傷めていた田中光顕は彼らの名誉を回復するために、多くの遺品を蒐集(しゅうしゅう)しました。
これらの品は常陽明治記念館のほかに旧多摩聖蹟記念館、高知県佐川の青山文庫にも寄贈されました。

なので、

ここにある数々の書や美術品、手紙類は倒幕運動に携わった人々のものが多いです。

なかでも、明治維新を見ることができなかった土佐藩出身の品々は感慨深いですね。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」にも出てくる平井収二郎や那須慎吾、間崎哲馬の品も展示されています。

武市半平太が描いた女性の日本画もありました!

明治天皇の御聖像

宮内次官・宮内大臣を務めた田中光顕は、明治維新の動乱の時代から近代日本を築いた明治天皇を慕っていました。
まさに「勤王」です。

 

明治天皇が崩御されてから、2体の御聖像をつくり、ひとつは宮中に、もう一つはここ幕末と明治の博物館に奉納したのです。

その像が安置されている聖像殿も見てきました。
中はなんとなく厳かな雰囲気で真ん中に軍服を着て真正面を向いて経っています。

等身大のその像は、これからの将来を見ているのでしょうか?
それとも、時代を切り開いた過去を振り返っているのでしょうか?

後ろには神武天皇の肖像画。

さらに進むと、天皇家から下賜された天皇家ゆかりの記念品の数々の展示があります。

皇室ファンにも見逃せないスポットでしょう。

近代日本の教育に使われた資料も。

別室には明治時代から昭和までの教材なども展示されています。
明治23年に発布された「教育勅語」の謄本もあります。

※教育勅語
明治23年に発布された儒教を源流とする道徳・愛国主義を教育の基本方針とする明治天皇の指令。
文部省が全国各地の学校に謄本を配布した。
戦後(1948年)に天皇の神格化の扱いを問題視したGHQの意向もあり、執行することになり、謄本も回収された。

博物館の外もみどころ!

まず、入口には博物館を創立した田中光顕の像。

田中光顕は明治維新、戊辰戦争に帆走した後、大正、昭和の時代まで生きました。昭和14年97歳で亡くなります。
この銅像は88歳の米寿の記念に作られたものです。

博物館の中には志士時代の若いころの刀差しの横向きの肖像写真、さらには95歳のころの等身大全身写真の展示もあります。

幕末の動乱を生き抜いたカッコいい姿を拝見できますよ。

他には・・・・

なんと

キャンプ場!!!

実は【幕末と明治の博物館】には、キャンプ場も併設されているんです。
私が訪れた日は2月の後半。ちょうど現在の天皇陛下の誕生日でした。
比較的暖かい日だったのですが、まだまだ2月。
夜は気温も一ケタまで下がります。

が、

たくさんの人がキャンプしていました。
みんな楽しそうでした。

フリーサイト(好きなところにテントを張れる)で、松林の中にあるので適度にプライバシーも保たれ、よさそうなキャンプ場です。
歩いて行けるぐらい近くにスーパーもあり、入浴施設も車があれば困りません。

キャンプ場利用の方は博物館も割引きになりまーす!

私は真冬はキャンプをしないヘタレキャンパーなのですが、こちらはウッドキャビン(エアコン付き)もあります。
いつか行ってみたいと思います。

大洗キャンプ場ホームページ

そして、もう一つ。見逃せないものがありました。

藤田東湖の銅像です。

もう、完全にキャンプ場の中です。

藤田東湖は水戸藩で多くの人に水戸学の影響を与えた人物。9代藩主徳川斉昭にも重用されました。
江戸藩邸にいるときに安政の大地震で亡くなっているので、明治維新をみることができませんでした。

他にも銅像や石碑が敷地内に点在しています。探してみるのも楽しいですね。

基本情報

大洗町幕末と明治の博物館公式ホームページ

地図

茨城県東茨城郡大洗町磯浜町8231-4
車なら東京からも常磐道で1時間半~2時間で行けます。
駐車場もあります。

休館日

水曜日(祝日の場合は翌日)、年末
※4月29日~5月5日、海の日から8月31日までの期間は無休

開館時間

9:00~17:00(入場は16:45まで)

入館料

一般¥700
大学生¥600
中高生¥300
小学生¥150

※障害者と付き添いの方は無料です。(身障者手帳など証明書を提示。)
※75歳以上の方は無料。(年齢の確認できるものを提示)

最後に。

明治維新で倒幕の主役になったのは薩摩藩や長州藩、土佐藩の志士たちでした。でも、その志士たちに大きな影響を与えたのは実は水戸藩だったのです。

倒幕派の志士たちは、水戸学の教えをもとに行動を起こしていたのです。
その結果、水戸の徳川斉昭の息子、第15代将軍・徳川慶喜の江戸幕府を倒すことになったのは皮肉ですね。

そして、幕末の始まりはなんといっても「桜田門外の変」
ここでも水戸藩は重要な役割をもちました。

他にも水戸藩は武田耕雲斎の天狗党を生んでいます。新選組の筆頭局長だった芹沢鴨も水戸天狗党にいました。

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この人も水戸藩出身で、徳川慶喜に仕えていたんですよ。

水戸藩。
幕末を詳しく知りたい方はまずは、幕末と明治の博物館へ行ってみてはいかがでしょうか?

幕末をおもしろく小説で読んでみたい方は【司馬遼太郎「竜馬がゆく」】がおすすめですよ!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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